駄文+WEB漫画 紅而遊戯

雑文 2673年3~4月

・・・・・・・


目次は右欄にあります。

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消費期限は切れたけど

【皇紀2673/04/25】

15日が消費期限の鶏の甘辛煮を
17日の朝に食べました。
(賞味期限ではなくて消費期限です)

ちなみに
製造日は15日です。
冷蔵庫には入れていません。

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スーパーで買った
消費期限切れの惣菜を食べるのは若干の勇気が要ります。
かつて大阪に住んでいたころ
強烈な食あたりに見舞われたことがありますから。

期限内に食べればいいのでしょうけど
ついうっかりして、ということもありますし
この季節ならまだ大丈夫だろう、ということもあります。

パン類なら
前日が期限切れでも
食べることが多いですね。
中には
期限切れの翌日に
まるで計算したかのようにカビが生えるパンもありますが。

弁当や惣菜は
期限切れの翌日の午前中なら平らげます。
揚げ物なら
翌々日まで取っておくこともあります。
もちろん
口に入れる前に細心の注意を払って
異常がないか確かめます。
以前
弁当の中のパセリに
カビがびっしり生えたことがありましたから。

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スーパーで購入した消費期限切れの惣菜、あるいは
自分で作った料理がどれだけもつか
悩む人が多いらしく
ネットで調べるといろいろな質問が立てられています。
それに対して
惚れぼれするほど断定的に答える人もいます。
「翌日までなら大丈夫」とか
「火を入れて冷蔵庫にしまえば明後日までOK」とか。

で、
その自信にあふれた回答を得て
質問者の中には
「ありがとうございました。4日も持つんですね」と
疑わずに信じてしまう人もいるみたいです。

いや、
ちょっと待ってください。

食品にはさまざまな種類があり
傷みやすいものも、持ちがいいものもあります。
また
調理法によって保存期間も変わります。
さらに
気候や住居の衛生状況もまちまちです。

だから一概に
「~日までは大丈夫」と保証できないはずです。

期限切れの食品を食べるのなら
自分の目と鼻と舌で吟味して判断すべきです。
迷いがあるなら
思い切って捨てるのが無難です。

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結局は
期限内に片づけるのが正しい消費のあり方でしょう。
・・・・・と分かっていても
半額の値札が貼ってあると
つい手が伸びてしまうのが
貧乏人の悲しきサガです。

おしまい

尊徳像と切られた大樹

【皇紀2673/04/19】

よく通る道に
樹齢数百年はあるかと思われる巨木があります。
民家の裏手に聳えているのですが
子どもの時分から見慣れた木でした。

その巨木が数日前
半分の高さに切断されました。
要するに
枝と葉がすべてなくなり
幹だけになったわけです。

住宅まわりの樹木というものは
小さいうちはいいのですが
大きく繁ると存外やっかいな存在になります。
まず
落ち葉拾いが面倒です。
手入れが必要な木なら
大きくなればなるほど手間がかかります。
また
毛虫が大量発生する大元となったり
鳥の棲みかとなって真下が糞だらけになったりします。
道に伸びた枝が知らずに虫に喰われていて
折れて通行人の脳天を直撃しないとも限りません。

事情は分かりませんが
件の大樹も
持て余した家主の意向で断罪の憂き目に遭ったのでしょう。

しかし
見慣れていたものがなくなると
何かしら寂寞を感じますね。

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子どもの頃から通り道にあった家が取り壊されているのを見ると
そこはかとなく淋しいですね。
更地となった後
草が生い茂るままに放っておかれたりすると
一入(ひとしお)寂寞の情がつのります。

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かつて通っていた学校の前を
しばしば横切ります。

ある日のこと。
その母校の校門前に自転車でさしかかったら
たまたま
二宮尊徳(金治郎)の石像を
クレーン車で吊り上げている最中でした。

「ああ、
時代は変わったんだ。
勤勉を物語る尊徳像は
時代遅れになったんだ」と胸中で理由付けしながら
撤去作業を眺めていました。

石像はしっかりと固定されていたわけではなく
案外簡単に取っ払われました。

それからは
母校を横切るたびに
鉄柵で囲われた中にあるべき石像がないのを横目で確認しつつ
通り過ぎます。

見慣れたものがないというのは
何かしら淋しいものですが
それから数か月後
母校を通ると
尊徳像がいつの間にか戻っていました。
膝から下の色がはっきり分かるほど変わっています。
補修のために撤去していたのですね。

少しばかり安堵しました。

おしまい

落日の出版業界

【皇紀2673/04/13】

漫文「漫画喫茶と新古書店」(04/10)を書いていて思いついたことを
今回は取り上げてみます。

漫画喫茶は
大阪に住んでいた頃は
頻繁に利用していました。
漫画も人気作品となると
巻数がやたらと多くなりますから
とても買ってられません。

新古書店も
大阪在住時代は足しげく通っていました。

漫画喫茶と新古書店。
この二つに難癖をつけたのが出版業界でした。
要するに
「漫画・書籍がどれほど利用・売買されても
著作者に利益が還元されない。
これでは
創作の意欲が保てない」という主張でした。

その出版業界ですが
現在は自炊代行業者に訴訟を起こしています。
著作権を振りかざして代行業者から金を徴収しようというのです。
とにかく
業界外の人間が本を商売として利用するのは許さないという考えが
彼らの行動から透いて見えます。

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彼らは
「著作権者に利益の還元を」と決まり文句のごとく繰り返しますが
しかし
これは変な話です。

著作者は直接の契約相手である出版社から
原稿料なり印税なりの形で
すでに創作の対価を得ているのです。
この上に何を求めるのでしょうか。

その著作者の書いた本は
対価を出して読者なり誰かが買います。

その買った誰か、つまり
所有者が自らの所有物をどう利用しようが原則的に自由なはずです。

にもかかわらず
出版業界の人間は
著作者が経済的利益を得る権利が
本が誰の手に渡っても、当然かつ永遠に、ついて回るかのように主張します。

自分たちの都合を世間に押し付けるのなら
いっそのこと本屋で不特定多数に販売するのをやめ
会員制にして
転売の際の、あるいは利用方法における特約を 客に約束させた上で売るべきです。

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正直な話
出版業界の企みは
無駄な努力です。
こんなことをしても
業界の落日はどうにもならないのです。

要するに彼らは力を失ったのです。
だから本を買わせることができないのです。

4~5年前に大阪に住んでいた頃は
目ぼしい漫画雑誌のチェックを自分に対する義務として課していました。
ところが
読んでも分からない作品が多かったです。
ひたすら一つの物語を引き延ばして、引き延ばして、
さらに引き延ばしているという感じでした。
漫画業界は
すでに単行本を大量に売ることで収益を上げる商売になっていました。
引き延ばせば引き延ばすほど巻数も増え
読者も買ってくれたので
中身の薄い作品でも通用するようになりました。

しかし
こうなると
定価で買うよりも新古書店、買うよりも漫画喫茶、となるのは当然です。

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そもそも
原稿料を抑えて単行本で稼ぐ現在の漫画界の仕組みは行き詰っています。
その証拠に
連載貧乏という言葉があります。
漫画雑誌に連載を持ってしまったら
アシスタント代やら事業所の運営費やらで借金を背負ってしまい
かえって貧乏になるという意味です。

これは異常な状態です。
なぜなら
漫画家が単行本での収益を当て込んで
赤字覚悟で雑誌に漫画を描いたとしても
出版社が連載作品を単行本にしてくれる保証などありません。
単行本を出してくれたとしても
予期していたよりもはるかに少ない部数であるかもしれません。

「ならば原稿料を上げればいいではないか」と思うかもしれませんが
それは無理です。
雑誌が売れていないからです。
だいいち原稿料を二倍にしたからといって
二倍面白い作品が作れるわけでもありません。

・・・・・と言うわけで
漫画業界はすでに破綻しています。
誰も「王様は裸だ」と言わないのは
おたがい都合の悪いことは報じないという
出版・新聞・テレビの秘密主義のおかげです。

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それにしても
出版業界の未来がどうなるか、
予測ができません。

しかし
時代に合わなくなったものが姿を消すのは悲しい現実です。

かつて
ブックオフが一つ先の駅に出来た時に
近所にあった小さな古本屋が軒並み潰れたことを覚えています。
大量の古本を流通させる業態が出現したことにより
品揃えも悪く
サービスなど存在しなかった町の古本屋が客に見放されたのは
今から振り返れば不可避だったのでしょう。

このまま行けば
出版業も見放される日が来るかもしれません。

おしまい

私は楽に歩きたい

【皇紀2673/04/07】

いつもは自転車で行く本屋に
歩いて行ってみました。
30分くらいかかるかと思いきや
ゆっくり歩いて
20分足らずで到着しました。

数年前と比べて歩くのが楽になりました。
だから
「遠いけど歩いて本屋に行ってみよう」という気分になったのです。

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そもそも
自分の歩き方に疑問を持ったのは
武術研究家の甲野善紀さんの著作がきっかけでした。
読んで
「なるほど!」と思ったのは
体全体を協調させることで無理のない動きを作るという理論でした。
それまでは
体の動かし方など考えていなかったので
甲野さんの発想には新鮮な衝撃を受けました。

という訳で
まず
日常生活でどうしても避けられない「歩く」動作について
点検してみました。
当時の私は非常に膝に負担を感じるような歩き方をしていました。

考えてみれば
人間の体には他にも関節があるのに
膝にだけ負担がかかるのはおかしな話です。
それで
何とか膝にかかる重みと衝撃を
やわらげられないものかと思いました。
すり足で歩いてみたり
股関節を旋回させるように歩いてみたり
骨盤で体を導く感覚で歩いてみたり
いろいろ試しましたが
なかなか結果は出ませんでした。

結局
雑文「膝から股関節へ」(03/16)で書いたように
股関節まわりの筋肉が意識できるようになってから
身体感覚が変わったように思います。
他にも背骨に沿った筋肉や
上腕や胸の筋肉なども意識できるようになり
これらが
楽に歩けることに貢献しているように感じます。

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それで
楽な歩き方のコツ、というほどのものでもないのですが
現時点での身体感覚を備忘も兼ねて書いておきます。

まずは
力まないこと。
体はあくまで柔らかく
液体になった感覚を保つことです。

次に地面を蹴らないこと。
歩くための動力は
着地した足裏から
体重が抗力となって上がってきて
骨盤の中の渦でそれを
前方への推進力に変換するような感じです。
かつて膝に頼っていたころは
膝の近くの筋肉を使って
体を斜め前方に押し上げて歩いていたように記憶しています。
理論的には
歩く=前進するのに上下運動は要らないはずです。
膝への負担が大きかったのも当たり前です。

最後は
下半身だけで歩かない、ということですね。
骨盤内部に中心がある感覚で
足裏からの抗力が波に揺られて上半身に伝わるようだと
体全体に重みが分散されたように歩けます。

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以上
あくまでも個人的感覚をもとにした現時点での歩行法です。
他の人に合うかどうかまでは保証しかねます。

おしまい

羽虫の不思議

【皇紀2673/04/01】

春になりました。
羽虫の季節になりました。
自転車を漕いでいると
蚊をさらに小さくしたような羽虫が
顔にも服にも
遠慮会釈なくぶつかってきます。

とりわけ
目に飛び込んでこられると業腹です。
家に帰って洗面所の鏡に向かってアッカンベーをして
綿棒で目蓋の裏の死骸を取らなければなりません。

メガネをかけたら防げるかというと
そうでもなく
うまいぐあいに隙間からすり抜けて目の中に入ってきます。
なんで死ぬために突撃してくるのでしょうか。

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この羽虫
服にくっつくと違う意味でやっかいです。
シワに挟まれると
簡単に潰れてしまいますから。
洗ったばかりの上着に黒いシミができたりすると
一日気分が悪いです。

服についた羽虫は
指先で払ったら簡単に潰れてしまいます。
だから
布地を弾いて追い払うしかないのですが
彼らは一向に逃げようとしません。
生き物にも関わらず
生存のための意志がまったくみられません。
限りなく植物に近いです。

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羽虫は
気温が急に上昇した時に
にわかに発生します。
これは
冬でも同じです。
ある温度に達すると作動するように設定された
精密機械を連想させます。

先日
実家に泊まった時のこと。
比較的暖かだったからか
夜に寝床の近くで
羽虫が螺旋を描いて飛んでいました。
2匹ばかりを始末してから睡眠。

朝になり
床をふと見下ろすと
結構な量の羽虫の死骸が落ちていました。
不思議なのは
なぜ一晩でこれほど死んだのか、ということと
なぜ一か所に死骸がまとまっていたのか、ということです。

死んだのは
わずか一日で寿命が尽きたのかもしれませんし、
朝の冷え込みが原因かもしれません。
しかし
死骸は
部屋中に満遍なく散らばっていたのではなく
寝床の脇の半畳よりも狭い範囲に集中していました。

訳が分かりません。

おしまい

田嶋陽子論

【皇紀2673/03/31】

「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)で
田嶋陽子はいつも道化の役回りを演じていますが
3月24日の回では道化そのものでした。

『憲法改正』を論じている時に
田嶋陽子と津川雅彦さんが激突しました。
その内容は次元が低くて
「人格批判するんじゃないよ。そういうのって一番下劣だよ」と
田嶋陽子が極めつけたのに対して
「オマエ、何ていう口の利き方するんだ。下品とは何だ、下品とは!」と
津川さんが激怒したものです。

津川さんの剣幕に
田嶋陽子がたじろいでいました。

田嶋陽子は
舌先で相手をやり込め、
言葉の上でだけ辻褄を合わせる能力はまさに天才です。
だから
田嶋陽子と口論になると
三宅久之さん(故人)でさえ言葉に窮することがありました。
三宅さんは知識人ですから
怒髪天を衝く状態になっても
(三宅さんに怒「髪」はありませんでしたが)
論理でもって田嶋陽子とやり合おうとしてしまうのです。
そこを
田嶋陽子の悪魔の弁舌術に絡め取られてしまうのです。

しかし
津川雅彦さんは役者です。
知よりも情と意の人です。
だから
田嶋レトリックが通じないのです。
そもそも
視聴者の誰も
津川さんに
論理でもって田嶋陽子を説き伏せる役割は期待していないでしょう。
この点は三宅さんとは大いに違います。

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竹田恒泰さんは
田嶋レトリックの土台の空っぽさを指摘しました。
すなわち
田嶋陽子の理論はいろんな非現実的前提の上に成り立っている、と。
日本の周辺に無法国家が存在しないという前提、
北朝鮮が絶対に核爆弾を使わないという前提、などなど。

田嶋レトリックの本質的欠陥を見破った
竹田さんの慧眼には感服します。

しかし
討論の相手は
田嶋陽子が脳内に勝手にこしらえた、あり得ない前提条件について知りません。
だから
そのあり得ない前提の上に構築された理屈で攻撃されても
痴人の戯言を聞かされているようで
理解できない(=思考停止・絶句)状態に陥ってしまうのです。

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この日は
田嶋陽子受難の日でした。
山口もえさんにまで
「とりあえず人の話を聞くってことも大事ですよ」と
諭されていましたから。

ただ
山口さんは気づいていないかもしれませんが
田嶋陽子には
相手の話(=心)を理解する能力が欠如しています。
相手の話を、
言葉の表面的な意味だけで認識する能力は天才的ですが
それを
現実に存在する事象とつなげて考えたり、
一まとまりの内容を持った思想として理解ないし共感する能力は
田嶋陽子にはありません。

田嶋陽子の理屈は
言葉を現実から切り離した上で
大雑把な関連性に基づいて組み合わせているだけですから
すごく的外れです。
それを聞いた相手は答えに窮してしまうから
視聴者には田嶋陽子が討論で勝ったように見えてしまうのです。

実際に田嶋陽子にできることと言ったら
ひたすら否定するかはぐらかすか、あるいは
相手の言葉に悪い意味の言葉をかぶせて貶めるか、
この三つくらいです。

電波芸者の話芸としては見事ですけどね。

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・・・・・と、
ずいぶん辛辣なことを言いましたが
田嶋陽子がいないと番組が盛り上がらないのも事実です。
私は
彼女の顔を見るのは3年に1度くらいで結構なのですが
「たかじんの~委員会」存続のためには
田嶋陽子が必要なのかもしれません。

おしまい

夢の話ですみません

【皇紀2673/03/28】

これまで何度も書いてきたことですが
他人の夢の話と恋愛の話ほどつまらないものはありません。

艶っぽい出来事には
すれ違いさえしないのですが
奇妙な夢は結構見ます。
そんな時は
誰かに話したくなるのも人情です。

という訳で
久々に夢の話を。

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ここ2か月ほどの間に見た変な夢を
時系列で並べてみました。

1) チンパンジーの毛皮をかぶらされて見世物に
2) 真夜中に老婆の運転する車に同乗
3) 田んぼのあぜ道を歩いているとマムシがうじゃうじゃと
4) 大学の卒業式に出なければならないのに邪魔が
5) 同級生が首を切り落とされる
6) なぜか高校の2年生に戻って始業式を迎える
7) 遊びに行った街から帰るのに駅で迷ってしまう

1)の夢は
毛皮がいつの間にか体にくっついて
私がチンパンジーになってしまいました。

2)の夢は
その老婆がギアをRに入れ
猛スピードで後退し始めたことが怖かったです。
倉庫の柱やら何やらに平気で車をぶつけていました。

3)の夢は
出てきたマムシの数が半端ではなかったです。
用水路に巨大な魚が横たわっていたところもシュールでした。

4)の夢は
式に出なければ卒業できないという設定でした。
ところが会場に行こうとしても
大学の構内や通路が工場になっていて
障害物に邪魔されて辿り着けない状況でした。
ちなみに私は
この手の
「~しなければならないのにできない夢」を定期的に見ます。

5)の夢は意味不明ですね。
何かの罰として
高校(?)の同級生全員が首を切り落とされることになりました。
不思議なことは
首がなくても死なないという設定です。
「人間、頭がなくても生きていられるものだな」と
夢の中で感心したことを覚えています。
ちなみに
私だけは首切りを免れました。
ちょっぴり良心の呵責が。

6)の夢は
1年生の時にほとんど登校しなかったという設定でした。
不登校だから気まずくて始業式に出席したくない、
どうしよう・・・・・と切実に夢の中で苦しみました。
もちろん現実の私は不登校児ではありませんでした。

7)の夢は
もう夜になって帰らなければならないのに
やっと探した駅の中が実に広大で何層にも重なっていて
歩けども歩けども切符売り場が見つからないというものでした。
遊びに行った街というのが
何故か大正時代のような古風な街並みで
侘しいその街を
古本屋をひやかして歩くという変な内容でした。

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奇妙な夢は
気温が急激に変化した夜によく見るようです。
それにしても
ここ2か月ほどの間に見た夢は
かつてよりも異常度が高いように思われます。
何故でしょうか。

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・・・・・とここまで書いたところで
また昨晩
変な夢を見ました。
歯の治療が終わった翌日にトイレに入ったら
被せ物が外れてしまった夢です。
外れた時の微妙、かつ生々しい感覚は
とても夢の中とは思えないものでした。
問題は
外れた被せ物がプラスチックで出来ていて
他にも
詰めてあったガラクタらしき物が続々と歯の中から出てきたことです。
現実にはあり得ない話ですが、そこは夢の中。
「あの薮医者めェ~!」と激怒したところで目が覚めました。

やはりつまらないですね。

おしまい

3月に蚊が

【皇紀2673/03/22】

まだ3月なのに
4月下旬なみの暖かい日が続いています。
外出しようとしたら
不気味な暖気が「モワッ」と包み込んできて
気持ち悪いこと、この上ないです。

19日の夜には蚊が出ました。
寝る前に見つけたのは運がよかったです。
眠っているところを朝方襲われるのはたまりませんからね。

蚊は
力なく壁に止まったところを丸めた新聞紙で叩き落しました。
それにしても
どこから部屋に侵入したのでしょうか。
ほとんど閉めっぱなしなのに。

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「今年の冬は寒かった」という声をよく聞きますが
私は
「例年にくらべればマシでは?」と思います。
寒さはそれほどではなかったのですが
ただ
今年の冬は例年よりも早く始まったように思います。
冬がひと月ほど早く来て、その分
春もひと月ほどズレ込んだわけです。
だから
今年の3月は4月なみの温かさに各地とも覆われたのです。
・・・・・以上
あくまでも個人的感想です。

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それにしても
冬から春へ、季節が徐々に変わっていく、微妙な変化というのが
昨今は失われてしまったような気がします。
冬が終わったと思ったら
いきなり春のさなかになった、という感じです。
季節の変化から中間が抜け落ちたせいか
体調をすっかり崩してしまいました。
ま、これは
『七獅武遊録』が進まない言い訳でもありますが。

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このような極端な気候の変化には困ります。
北海道では今冬、猛吹雪で8人が命を落としました。
昨夏は世界各地で干ばつや洪水など異常気象に見舞われました。
おかげで
それが最近の小麦の値上がりとなって響いています。

今年の夏はどうなることやら・・・・・。

【・・・・・と、ここまで書いたら
 昨日、一気に気温が下がって冬に戻りました】

おしまい

膝から股関節へ

【皇紀2673/03/16】

4年ほど前から健康太極拳をやっているという話は
3月13日の漫文「太極拳で気づいたこと」に書きました。
今回は
その続きみたいな、付け足しみたいな話を。

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健康太極拳の套路(=型)を毎日繰り返しているうちに
これまで意識しなかった
股関節まわりの筋肉が動くようになりました。
それまでは
脚の付け根の
前の部分だけが働いていたのが
側面や後部も動くようになったのです。
不思議なことに
ある日突然、太腿の裏側や臀部側面の筋肉を感ずることができたのです。

これによって何がどうなったかと言うと
膝への負担が減りました。

以前は
歩くたびに体重が膝の一点にかかるような感覚でした。
しかし
股関節まわりの筋肉が意識できるようになると
歩く時の体の重みが
膝だけでなく
太腿へ、臀部へ、さらに背中へ
分散するようになったのです。

結構歩くのが楽になりました。

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股関節まわりの筋肉が使えるようになると
力仕事や運動が楽になります。

実家に家庭菜園よりは大きい程度の畑があります。
たまに、
そこでの作業をおおせつかることがありますが
上体をかがめることの多い農作業を
腰の所で体を折り曲げてやると結構つらいのです。
しかし、これを
股関節が上半身を支える感覚で体を使うと
苦痛は前ほどではなくなります。

自転車を漕ぐ時も
以前は太腿の筋肉の膝に近いところを使っていましたが
現在は股関節に近い所の筋肉を使うように努めています。
そのせいか
疲れや辛さもあまりなく
坂道を上るのが楽になりました。
気のせいかもしれませんが・・・・・。
ちなみに愛車はファミリーサイクル、いわゆるママチャリです。

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ただ
一言お断りしておくと
私は健康太極拳だけをしているわけでなく
ほかにも股関節のストレッチなどをやっています。
だから
これらの総合的効果で
股関節まわりの筋肉が使えるようになったのでしょう。

おしまい

本屋が潰れる原因は

【皇紀2673/03/10】

たまに行く本屋があったのですが
1か月前に閉店しました。

その数か月前には
別の本屋が潰れました。
滅多に行かないその店にたまたま足を運んだら
空きビルになっていました。

どちらも
閉店の理由は分かりませんが・・・・・・。

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再販制度がある日本では
本は定価で販売されます。
だから
駅前の本屋でも
町外れの本屋でも
同じ値段です。
土地や建物の賃貸料が安い分だけ本を値下げするという
価格競争はできません。

それでは
品揃えを工夫するしかないのですが
これも今の
パターン配本で取次から本が押し込まれている現状では難しいでしょう。

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価格で競争できない、
品揃えでも個性を出しにくい、となれば
ほかに差別化できるのは店員の質ぐらいでしょうか。
しかし
こちらは
さらに一層、トホホな状態ですよね。
(もちろん店によりますが)

あくまで個人的体験ですが
私はある本屋で
「XX文庫はどこにありますか?」と店員に尋ねました。
「ちょっと、こちらに」と言われて連れて行かれたのは
レジ脇のパソコンの前です。
店員はそこで「XX文庫」と打ち込んで
一心に何やら検索してくれています。
随分長く待たされました。
正直な話
店員なら知っているだろうと思っていましたから
これほど時間がかかるとは意外でしたし
パソコンで調べるというのも予想外でした。

何が言いたいかというと
本屋で働いているからといって
必ずしも本に詳しいわけでも
自店の商品を把握しているわけでもない、ということです。
これには
ベテランの書店員を置いても
それだけ売上げが上がるわけでもないから
給料が安いパートやアルバイトで間に合わせるという
現実があるそうです。

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書店員については
客の存在など眼中にないように
ズンズンズンズンと歩いてくるので
仕方なく客である私のほうで進路を譲ったり、
露骨に万引きを疑う目で見られたりと
(大きなバッグを持っていたので仕方ない面がありますが)
言いたいことはいろいろありますが
これはまた別の機会に。

結論は
「本屋が潰れるのは果たして出版不況だけが理由なのか?」
ということです。

おしまい

粗さがし『椿三十郎』

【皇紀2673/03/04】

子どもの時分
私の田舎には
映画館などという結構なものはありませんでした。
(今はあります。足を踏み入れたことはありませんが)
映画といえば
テレビで放映されたものを観るだけでした。
そんなわけで
映画にさほど親しむでもなく成長しました。
それが
大学の学園祭で友人に誘われて観た『七人の侍』がきっかけで
映画館に足を運ぶようになりました。

そんなわけで黒澤明は少しばかり特別な存在です。

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その黒澤明の『椿三十郎』を
機会があって久々に観ました。
これはいい作品ですね。
『用心棒』の続編なんですが、
普通パート2というと落胆の出来栄えになるものですが
『椿三十郎』に関しては前作に劣りません。
劣りませんが・・・・・・。

以下は
まだ『椿三十郎』を御覧になっていない方は
読まないでください。

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『椿三十郎』は
三船敏郎演じる椿三十郎と
仲代達矢演じる室戸半兵衛の
最後の決闘の場面、
あの場面がもっと巧みだったら
完璧な作品になったと思います。

西部劇のガンマン同士の決闘を思わせる
三船と仲代の真剣抜き打ちの勝負ですが
初めて観た時も
その後、何度か観た時も
早すぎて何が何だか分かりませんでした。
はっきり言って白けました。

今回
超スロー再生にして初めて
三船が左手で抜刀して仲代の脇腹を切り上げたことが見て取れました。

果たしてあんな技が現実にできるのか、
そもそも両者があそこまで間合いを詰めるのは不自然ではないか、
とも思うのですが
終わりを締めくくるべき見せ場は
あまりにもあっけなく、かつ三船の動作が分かりにくく、
そのため
映画館でしか『椿三十郎』を観たことがなかった私には
なにか満たされない感じが残りました。

だから
今になってじっくり目を凝らして件の場面を観ましたが
やはり分かりにくいですね。
作り手の並々ならぬ熱意と創作意欲は伝わってきますが
それが空回りしてしまった残念な場面です。
(ネットで調べると、この場面が大迫力だったという人もいます)

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昔、感激した映画でも
歳月が流れ
性格もひねくれてしまってから観ると
粗が目に付いてしかたありません。

件の決闘の場面も
あれほど両者の間合いが詰まっていれば
刀を抜くよりも
当身で
喉でもどこでも急所を打ったほうが確実ではないか、と今では思います。
どうしても三船と仲代に
居合いで決闘をさせたかったのでしょうけど。

また
椿三十郎が
捕らわれた若侍を助けるために
悪役の配下十数人をなで斬りにする場面があります。
これも
昔観た時は「すごい!」と単純に感嘆しましたが
今は
「あれだけ人がいるのだから、
しかも武士が混じっているのだから
後ろから三船の足を切り払うぐらいのことは簡単では?」
と思ってしまいます。
しかも
一人ずつ三船に真正面から切りかかっているし。
三船はというと
一人を二度斬るという
理解不可能な上に
手間のかかることをやっているし。
どう考えても
あの戦い方には
十数人を切り伏せる説得力がありません。

水戸黄門や遠山の金さんなら
お約束的立ち回りに文句はつけませんが
なまじリアリズムを標榜している黒澤映画だけに
ちょっぴり重箱の隅をつつきたくなります。

おしまい

目次

・消費期限は切れたけど(04/25)
尊徳像と切られた大樹(04/19)
落日の出版業界(04/13)
私は楽に歩きたい(04/07)
羽虫の不思議(04/01)
田嶋陽子論(03/31)
夢の話ですみません(03/28)
3月に蚊が(03/22)
膝から股関節へ(03/16)
本屋が潰れる原因は(03/10)
粗さがし『椿三十郎』(03/04)

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